2013年02月14日

リクルート創業者 江副浩正氏の死去

今週、ショッキングなニュースが飛び込んできました。
僕が5年間勤務した㈱リクルートの創業者 江副浩正さんが
肺炎のため8日に亡くなったというのです。
リクルート創業者 江副浩正氏の死去

僕がリクルートに入社した昭和63年、今から25年前
リクルートといえば日本のベンチャー企業の旗手的存在でした。
なにせ、入社式が日本武道館だったんですから・・・。

創業者の江副さんは、まだ東大の学生時代に
今は当たり前の、企業の新卒採用情報誌を新規事業として立ち上げ
あらゆる分野の情報誌の事業化を次々に成功させていきました。

リクルートが手掛けていた情報誌をざっと挙げると
転職情報誌「とらばーゆ」「B-ing」 アルバイト情報誌「フロムエー」
住宅情報誌「ハウジング」「週間住宅情報」 中古車情報「カーセンサー」
旅行情報誌「じゃらん」「エイビーロード」 結婚情報誌「ゼクシィ」・・・などなど。
殆どの方がお世話になったことがある情報誌ばかりでしょう。

そして、事業よりも注目されていたのは リクルートの社風。
僕が入社した時の社員の平均年齢は25歳でしたが、
若手のアイデアを大切にし、年齢にこだわらずに責任を持たせ
社内は活気に溢れていました。

上司を「さんづけ」で呼んだり、派手な社内パーティーを開いたり
部門の目標を達成したら海外旅行に行ったりと
若い社員のモチベーションを最大限に引き出す様々な仕組みがありました。

僕の在職中のスナップです。
リクルート創業者 江副浩正氏の死去
こんな「かくし芸」大会が頻繁に開催され
仕事も遊びも全力投球の社風でした。

退職後に聞いた話ですが、当時のリクルートには
「組織活性化の5つのポイント」というものがあったそうです。
それは ①採用②人事異動③教育④小集団活動⑤イベント です。

起業したリクルート出身者の多くがこの5つのポイントを真似て
リクルート的社風の企業を構築していったように思います。

そんな江副さんでしたが、事業拡大を急ぎ社会のルールから逸脱。
政官財界を巻き込んだ贈収賄事件「リクルート事件」の主役として
日本中に悪名を轟かせることになっていまいました。

しかし江副さんが会社を去ってからも
江副さんのDNAは社員に引き継がれ
本社ビルもロゴマークも変革し
売上1兆円を越す大企業に発展しています。
リクルート創業者 江副浩正氏の死去
旧ロゴマーク
               ↓
リクルート創業者 江副浩正氏の死去
新ロゴマーク

リクルート創業者 江副浩正氏の死去
旧本社ビル
               ↓
リクルート創業者 江副浩正氏の死去
新本社ビル


晩年は表舞台から姿を消し、76歳でひっそりと亡くなった江副さん。
最後にご自分の人生をどう振り返り、 旅立っていかれたのでしょうか?
それを思うと少し切なくなる、突然の訃報でありました。




Posted by 常盤工業1 at 19:30│Comments(0)
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